日記・コラム・つぶやき

いいじゃん!

「いいじゃん!」
最近、上の娘が使う言葉。よく私が心の中で使っている言葉。
「いいじゃん!」

娘は義理母さんが、娘をじっと見るだけでも使う。
「いいじゃん!いいじゃん!いいじゃん!」
すると義理母さん「ばあば何も言ってないだに。じゃあもう何も言わん」
と言う。娘は真剣な顔でいいじゃん!を言って、自分のやりたい事をしている。例えば何かを食べるとか…

そう。この「いいじゃん!」とは肯定的?というか、否定的というか(好きにさせて。放っておいて)の意味で娘は使っているのだ。たった1歳10ヶ月で…

私も、娘と一緒に心の中で「いいじゃん!いいじゃん!いいじゃん!」と言っている。

要は、何でも用意周到でしっかり者の義理母さん。人のすること成すことが気になり、何か言いたい性格なのだ。
孫が可愛くて仕方ないのもあって、食べ物を食べるときも、こぼしたらこぼしたで何か言うし、上手に食べれたら食べれたで何か言うし、要するに、孫にとっても嫁である私にとっても放っておいて欲しい時もあるのだ。


「いいじゃん!」って言ってたまには行き先も告げずに朝から晩まで出かけてみたい。
買い物も目的もなくふらっとお店にはいって、時間を気にしないで待たれないで色々みてみたい。
「いいじゃん!」って言って時間をきにせずだらだら寝てみたい。。
でも同居して共同生活してるからには、不可能な話である。

毎日、定時に起きて、洗濯して、一緒に夕食などの買い物にみんなで行く。田舎?だから車で総出でショッピングモールへいき、帰ってきて、夕飯の支度をして、風呂に入って寝る毎日の繰り返し。
娘は娘で私がちょっとでも姿がないと「ママいない!」と言って探しまわり騒ぎ立てるから、ゆっくり便器にも座れない。

イスに座ってゆっくりお茶なんて難しい。。

やっと落ち着く時間。
誰にも干渉されず誰にも文句を言われない時間。「いいじゃん!」って言わなくてもいい時間が、みんなが寝静まった今みたいな時間。
ああ、落ちつくな。
こういう時間はいいじゃんって心のそこから思う。

最近は免許をとったから、買ってもらった中古のバモスで娘と出かけるのが唯一の自由時間になった。もちろん「どこいくだ?」って聞かれるが。
ちょっと前までは私が免許ないのもあってどこに行くにも家族総出だった。
またそれも義理母さんたちの楽しみという事もわかっているのだが今の私はとにかく毎日娘と外出したいのだ。

東京にいた頃は、1日中、子供と一緒の時間は変わりないけど、誰かと接触したくて買い物にいき、知らないおばさんに話しかけられて嬉しくなったり、薬局の店員さんと売り物の質問をして話したりしただけで嬉しくなったりしていたくらいなのに、いざ、旦那の実家に越してきて、四六時中、誰かと一緒にいると、逆に1人になりたかったりで、自分って本当にわがままだなっていうか、贅沢だなって思う…


これから、孫と出かける楽しみはうばいたくないけど、だからといって娘の昼寝の時間もうばいたくはない。

優先すべきは子供。と旦那は簡単にいうが、そう簡単にもいかないものだ。

「昼寝があるから出かけません」なんて言えないし。

だから昼寝が遅くなり、遅くまで起きてしまい、私の自分の時間が夜中になってしまうのだ。

うーん。

でも、よく考えればこんな悩みも期間限定かな?!

娘は確実に成長しているわけで、こんなに手がかかるのも、逆にいえばあと数年?
幼稚園にでもいくようになればまた違う悩みもでてくるかもしれないが、今のがんじがらめの四六時中、ママと一緒じゃなきゃ嫌だでもなくなるだろうし。


「いいじゃん!」をどこまでやって、どうするか?が今のテーマだ。

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〜車というは〜10000kgトラック

今、教習所に通いだして2週間目。

仮免とれましたpaper

その仮免とれる前の技能試験で生まれて初めての最初で最後ともいえる経験をしました。

それは10000kgのトラックに乗った事です。

試験になんかいい年をした武骨そうな男性がきてるなあと思ったら、その人は大型トラックの免許の試験を受けにきている人でした。

私の受験番号は二番。その人は一番。というわけでトラックと何も関係がない私が、トラックの後ろの席に乗るように言われたのです!!

乗るときは自分の肩よりうえの手すりにつかまり階段を三段くらい登りました。トラックの中は意外と広くて、大人ひとりが横に寝るくらいのスペースがありました。


その武骨そうな男性が私に向かって「よろしくお願いします」と真剣に言ったので私も「よろしくお願いします」と心の中では「頑張って下さい」と言いました。

トラックがゴーゴーと真剣に重々しく走る中で私は「この人には受かってもらいたいな」となぜか願ってしまうのでした。

固そうな動きをしているいい年した口ひげを生やした男の人。


いったいなぜ今頃、トラックの免許をとるのだろう?もちろん不況だからかなとかいらぬ想像をして、高々とゆったり見下ろせるトラックからの眺めを満喫したのでした。
あっ!向こうで男の子をひざにのせたお父さんがこのトラックをみてる!!とか(笑)かなりその時間を満喫しました。

トラックの運転は別物だな。とか色々感じました。


試験が終わり男の人に「ありがとうございました」と言われ私もいい、後ろむきでおりないと危ないから気をつけてと試験官に言われ気をつけておりその時間は終わりました。

結局、その人も私も試験には合格でした。


車の運転って…

すぐ目の前をみて運転をしたら車体が歪んでうまく走れない。

車体より40メートル先くらいをみていなくちゃ安定しては走れない。

まるで人生のようだな。

ある程度先を見越して生きなくちゃ、(走らなきゃ)今が大事でも、ぶれてしまうんだな。

ぶれたらブレーキをふみ、方向を整えてまたアクセルをふむのもありだけど、それでは運転が下手だと言われるだろう。

ある程度先の方向をみて走らなくちゃ。


そんなことも車が教えてくれた。

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母とは。

8月13日は、まはろの1歳の誕生日だった。

マハロの好きな、日テレのそら次郎の撮影とか

いって、そら次郎のぬいぐるみでも、かってあげたかったけど、

9月4日に静岡に引っ越すため、静岡に行くなら縁切りだと、

途方にくれている実母のところに行った。

母はなぜか、うちの旦那を下に見て、亡くなった父(夫)と一緒で、

私はこの先、母と同じように、苦労すると、勝手に思い込み、決め、

会いたくも無い状況らしいので、旦那には喫茶店などで待っててもらっ

た。

母は、旦那と別れるか、縁を切るか二者択一を以前私にせまり、

うちの近くまで、私とマハロをつれに来たとかいったときも

あったが、私は、母の思惑は受け入れられなかった。

いくら、自分が孫との生活を思い描いて、楽しみにしていたとしても、

私の人生は私が決めることだ。

公園で、実家に連れ帰ろうとする母と、静岡に行くことだけを告げ、

それ以上、時間を共にすごすしかない私との、妙に緊張する時間

が過ぎ、

「さようなら。元気で病気しないで育つんだよ」

とまはろに、言い残し、泣きながら帰った母を、見送って、

私も泣きながら、帰ったこともあった。

それから、数週間後、それでも、私は、母への感謝の想いで、

実家に行った。

実家では、暗い部屋で、母はタバコを吸い、オリンピックをみながら、

いつもはコーヒーしかのまないのに、お酒を飲んでいた。

まはろには、優しく接してくれるが、私たち母と娘は、

目も合わすことなく、無言だった。

私は、落ち着かなかった。

なるようにしかならいない。

マハロが、寝て、2人だけの時間になった。

母は相変わらず、タバコを吸い、赤い顔をして、

カンちゅうはいを飲んでいる。

母はお酒は飲まない人だった。

母の兄はお酒で、亡くなっている。

し、母はお酒を飲む兄弟や親が、泣いたり、けんかしたりの

いい酒というものをみてこなかったから飲まないと、言っていた人だ。

母に、お酒なんか、似合わない。

私が、静岡にいくから、こんなになってしまったのかと思うと、

泣けてきた。

だんだん、過呼吸みたいになってきた。

母は「泣きに来たのか」と言った。

違うけど、苦しい。

母は酔っ払いながら、

「あなたはお母さんに、お母さんはいつも、マイナスのことしかいわな

いよねというけど、

子供育てるにはね、そうだなー。

3歳までは90パーセントほめて育てて、8歳くらいまでは80パーセント。

12歳、中学生までは、70パーセントほめて、それ以上は、

子供がいわれたくないことを親はね、言うんだよ。

ほめてだけ育てれば、どれだけ、楽か。

そういう気持ちを、わかってくれると嬉しいよ。

お前の夫は世間に通用する人間ではないから、

お前がどれだけ苦労するかわからないけど(泣)」

言われている時、お互い、泣いた。

なにより、母が私の夫の何を知って、そんなこというのだろう?

心害だった。

そして、ドラマのお別れのシーンのようだった。

わたしは、お腹に赤ちゃんがいるのに、呼吸が荒くなり、

自分でも、コントロールできないくらい、胸がきもちわるくなり、

何度も、ものすごい吐き気を催した。

化け物のような、吐き気がきて、これ以上、なんの言葉も

受け入れられなくなった。

母は動揺し、つわりと間違えて、「おなかすいてるんじゃないの?」

といいながら、コップに飲み物を注いだり、お菓子を出したりしたが、

そんな問題ではないのだった。

それから、私も少し横になり、マハロが起きたので、かえるとき、

マハロを母が抱いたら、泣き出した。

そしたら「お前が泣くから、子供もわかってるんだよ!!

もう、こんな思いしたくないから、

かえれ!まはろに恨まれたくないから、2度と来るな!!」

といって、母は泣きながらふすまを閉めてしまった。

時間は7時半。

なんだったのだろう???

いままで、すべてのことに対して、なんだったのだろう???

母とは。。。

子供と一緒に孫まで、ずっといられることが幸せなのか??

いや、私はちがう。

まはろが、将来、自分の選んだ人のところへ、嫁に行き、

自分から自立して、離れた時、わたしは、 さみしいとは思わない。

寂しいと思うのは、エゴだとおもう。

もし、寂しいと思っても、それは、娘を笑顔で送り出してから

感じることだ。

子供が、いくら、苦労したとしても、自分の選んだ人生。

自分の選んだ、学びであるだけだ。

苦労しない、何不自由ない人生を、送ったところで、

それが、何なのだというのだろう???

苦労しないことが幸せなのだろうか?

私が静岡に行き、苦労するか、しないかは、わからない。

また、苦労したとしても、それは、私に必要なのであって、

それを乗り越え、自分の選んだ家族とともに、幸せを探して、

生きるのが、私が生まれてきた意味だと私は思っている。

子供に、執着し、生きがいにし、こどもは、そんなためにうまれてきた

んじゃない。

自分がやりたいことをするために、この世に生まれているのだ。

母には、辛くても、乗り越えてもらわないと、どうしようもない。

私は子供を守り、夫を支え、夫の両親を大事にしたい。

嫁いだのだ。

私が幸せになったら、母も幸せなんじゃないのかな。

それが、親孝行なんじゃないのかな。

死ぬまで、そばにいる親子が幸せだろうか?

私の場合は、それじゃ、いつまでも、自立できない。

幸せになれない。

私は親にされて嫌だった事を、自分の子供には、絶対にしない。

また、母を愛し、私は母のありのままを受け入れます。

「あなたがしたいなら、行ってきなさい。幸せになるんだよ。

 東京に来た時は、必ず、寄りなさいね」

と私だったら、娘に言うのですが。

そういわれていないので、、、今のところ、静岡に行ったら、

当分の間は、東京には、来ないことと思います。

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人生いろいろ。

結婚して、早、2年。
今年の9月で3年目にはいります。
本当にいろんなことが、ありました。

マハロが生まれ、父が去り・・・。
もっと、楽しいこと、うれしいこと、辛いことなど、色々あったけど、
結婚って、旦那とともに、山あり、谷ありを、
ひーふー言いながら、登ったり、降りたり、休んだりして、
歩いていくものなんですね。

恋愛とは、ぜんぜん、ちがって、どっちかというと
忍耐(耐え忍ぶ)(笑)とか、そういう要素、大ですよね?!

時には怒りとか、泣いたりとか、やっぱりあるけど、
最終的には、大丈夫だなと思える。

迷ったり、確認したりの繰り返しで。

どうして、こんなに、しみじみしているのかというと、
今年、夏すぎには、旦那の実家、静岡に移り住む予定なのです。

理由はいろいろありますが、簡単に言うと、
「家族を大切に、自立して、のびのびと、幸せになりたい」
と思ったからです。

もう、かなりのご高齢の旦那のご両親を、とにかく
大切にしたい。

自立の意味は。。。結婚してから、今まで、私の母にいろんな面で、
かなりお世話になっているので、あえて、ここで、離れる。
という、決断をしました。
母はもちろん、悲しんでいます。
私も辛いです。
でも、このまま、ずっと、一緒にいたら、
嫁ぐ前と、なんら、変わりない。母と娘の関係。
むしろ、嫁いだあとのほうが、母と親密になっていることさえ
あるのです。

「私はもう、お嫁に行った」
母に対して、色々、甘えもあった自分を断ち切りたいと思いました。
突然言われた母は、もちろん、すぐには、受け入れられないと思います。
私は、もっと、自立して、強く、たくましくなって、
母に何かしてあげられる自分になりたいと思っています。

また、母は嫁姑は大変苦労するといいますが、
義父母さんは、そんな人じゃないと、なぜか、確信しています。
また、介護とか、たとえ、苦労があったとしても、
それは、私に必要ならば、そうなると思うのです。

なので、色んな覚悟はできています。

お嫁に行ったということは、姓が変わると同時に、
自分の家族ができるということ。

もとの自分の家族も同じくらい大事だけど、
お嫁に行く前とかわりない関係でいたら、
嫁いだ意味はどこにあるんだろう???
ある意味、一線は必要だと思います。

本当の親子間の幸せは、
自立して、しっかり、大地を踏みしめて、
苦労してでも、幸せを手に、ぎゅっと握って
生きている、子供の姿をみるのが、
親にとっても幸せなんじゃないかな。

すくなくとも、私は子供に対しては、
苦労するのもしないのも、自分で選んだ子供の人生を、
見守れる親でありたいと思っています。

おも堅苦しい、文を読んでくれて、ありがとうですheart04

静岡といっても、新宿から往復バスが何本もでているし、
落ち着いたら、頻繁に来たいとおもっているので、
その時は、皆様、ぜひ、あそんでねhappy01heart04

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☆明日から韓国、行って来ます☆

知らない人のほうが多いのかもしれないですが・・・。
あした、私の故郷sign02韓国に、行って来ますhappy01

ふるさとって、そもそも、なんなんですかね??
生まれてから、一度もいったことがない、
父の出身地に行って来ますshine
父の出生地は、あまりにも、山奥なので、
近くのお寺に行って、ご先祖様に手を合わせてきます。

東京で、生まれて、育って、韓国人って言われてもねえって、
感じで生きてきましたが、でも、その韓国のご先祖様あっての、
今、自分が生きている、生きていられているということに、
ただ、ただ、感謝するのみです。

てなわけで、ルーツの感謝の旅、してきますheart02airplane

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4月 9日 天国からの風

4月9日、日記を書いた日の午後、18時15分頃、母と私に手を握られたまま
父は、天国からふいた、風とともに、
風や天使につつまれて、天国へのぼって逝ってしまいました。

その日、母と、私とまはろで、
お見舞いと、容体を先生に聞きに行くため、
父の病院へ、向かいました。

ちょっと前まで、会っていた父とは、まるで別人で、
げっそりとし、私をみても、見ているかわからない、
目をしている父がいました。

ここ2,3日で、急変した、父をみて、胸が痛くなった
母と私は、涙を抑え切れませんでした。

でも、言葉にならない言葉で、
「みす、みす、こうり、こうり」
言う父に、
「そんなにたくさん飲んで、大丈夫かなー。のどがかわいたのね」
と、明るくは母答えて、手を握ったり、頬ずりをしたり、
頭をなでたりしていました。
父は、されるがままで、まるで、赤ちゃんのようでした。

先生の説明も、希望が持てるものではなく、
いつ、なにがあるかわからないといった感じでした。

父を見て、残された時間が、本当に本当に、限りあるものと知り、
涙がポタポタと、父の布団に落ちました。
「泣いている顔なんかみたくないよ」
と母に怒られ、でも、母も、泣いていました。

父は、言葉にならない声で、色々発音をし、
母が、「おうちに帰りたいの?」
と聞き、うんうん、と、深くうなずいて、
なにか、納得したようにうなづいたあと、
それから父は意思表示をすることはありませんでした。

遠く高い、空を見るような目で、
天井をみたまま、
ただただ、
息をしているだけになりました。

三途の川をみているのか、アカシックレコードをみているのか。

もう、この世のものが映っている目ではありませんでした。
昨日、電話で話した父なのに。。。
でも、こうなることを、覚悟に覚悟を重ねて今まで
生きてきたのだから、あとは、父が、苦しまないように、
お祈りをしようと思いました。
そして、観音様にお祈りしました。

「父がどうか、苦しまないで、天国へ行けますように」

18時まえ。母がトイレに行っている間、
私が父の手を握っていました。
「お父さん、ありがとう!
本当に、今まで、たくさん、がんばってくれて、ありがとう!
お母さんも、妹も、なみも、
みんな、お父さんのことが大好きだよ!!!大好きだからね!!」
何回も、何回も、言いました。
血圧が、60台から、88にあがりました。

・・・それから、父の酸素マスクが曇らなくなったことから、
息をしなくなってると思い、母に電話をし、ナースコールをしました。
みんなに見守られ、18時をすぎるころから、どんどん、血圧が下がり、
60、50、40、30・・・・。
何もなすすべがないまま、
父は、あっという間にふいた、天国からの風につつまれて、
天国に、のぼっていってしまいました。
母と私に、手を握られたまま・・・。
風は、あっという間に吹いて、
とめられない、自然の出来事ですね。。。

妹は、私たち、家族のための仕事で、駆けつけられませんでした。
でも、妹は妹なりのお別れをしていたと思います。
いろいろ、ありがとうね。

残された時間は、思ったよりも、本当に本当に、短かいものでした。

笑ってくれる奇跡は。。。
きっと、いつか、私が父の元に行った時、
たくさん見る事ができると、楽しみにしたいと思います。
最後に父が笑ってくれたのは、
1週間前、まはろをあやしている時でした。

葬儀に来てくださった、お坊さんがこう言っていました。
「亡き人とのお別れは本当のお別れじゃない。
また、天国で、再会する、しばしの別れです。
また、亡き人は、仏様となって、いつでもどこでも、
私たちを抱きしめ、見守っていてくれています。
さようならではなく、ありがとうです」

明日で、初七日です。
この1週間は、1年以上の月日に感じました。

今の私は、何のくいもない、晴れやかな気持ちです。
わけもなく、流れる涙は、いつか、止まります。

何十回、何百回も、「辛いから、死にたい」といっていた
お父さん。
今は、肉体の苦しみから解放されて、よかったね。
とっても、綺麗なお顔で、若返ったようだったよ。
おかんと、妹と、話してたよ^^

お父さん、本当に、いっぱい、いっぱい、
ありがとう!!!

また、会う日まで!

なみも、これから、お父さんみたいに、
家族のため、支えてくれている、みんなのために、
がんばります!

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4月8日 残された時間。

私の父親が、病で、昨年の冬、余命を告げられてから、
今、私の誕生月、4月になりました。

父は、私が生まれる前から、腎臓をわずらって、あと、3年の命といわれていたのに、私が生まれて、
妹が、生まれて・・・家族4人。

本当に楽しいこと、辛いこと、色んなことがあったけど、
病気の体で、一緒にともに、生きてきてくれました。

病気の父を、34年間、母は、いろんなことに耐え、
本当、一生懸命、わたしたち、家族の幸せのために、
たくさんの苦労をし、私たち、娘を育て、
父を、支え、がんばってきてくれました。

おととし、還暦を向かえた父。今は、61歳。
人生の折り返しといわれる、1歳になったばっかりです。

あたたかい風がふき、お花が咲いて、
卒業と、はじまりが来る春に、
父は、今、医学的には本当に、危ない状態です。

まだ、生きていてくれているのに、私1人、声をだして、
おえつして、泣いたり、
母や、妹と、父のため、こうしてあげよう、ああしてあげよう、
と考え、母と妹と、3人、涙ぐんだり、
もう、会えなくなるんじゃないか、
もう、会えなくなるんじゃないか、
と、思いながら、まはろが生まれるちょっと前から、
残された時間を、かみしめ、かみしめ、生きてきました。

ですが、今、本当に、父との残された時間の重さを実感しています。
時は、刻、一刻と、過ぎていく。。。

神様が、私たち、か弱い、私と、母と、妹に、
心の準備をさせてくださっていることに、心から、感謝しています。

まはろも、じいじ、おぼえたしね^^
会えたものね!!!
ママはじいじには、会えなかったんだよ。
でも、いつか、会えると思うけどね^^

この世界は、たくさんの奇跡で、みんな生きていると思います。
生まれ出る、命。
また、故郷に帰る、命。
それだけじゃない、たくさんの小さな奇跡のつみかさねで、
生きているのだと思います。

わたしは、父が、たくさん、笑ってくれる、奇跡のために、
これから、できるだけ、父に会いにいこうと思います。

家族は、永遠。
残された時間は、わずかで、二度と、繰り返せないけど、
ともにすごした、幸せな時間は・・・。
永遠に。

愛の記憶です。

笑って、泣ける人生をおくれたら、幸せだと、
高校の時から、思ってました。

なので、これからは、つつましく生きて行きますので、
どうぞ、見守っていただければ、幸いです。

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私のsoulの故郷

ご存知の方も、いらっしゃるかと思いますが、

私は、生まれも育ちも、日本。母国語?も、日本語。日本語しかしゃべれません。

食べ物も、通った保育園も、学校も、普通に、日本。

日本って言うのが、違和感あります。

なのに、国籍は、大韓民国でした。

学校では、いじめはなかったから、特に、名前の読み方を

いちいち、みんなに言い直すってめんどうはあったけど、

なに不自由なく、生活してきました。

就職するころから、日本の名前を使って、働いてました。

何か、不自由があったかといえば、7年に1度の外国人登録証の

切り替えにいくことと、日本人と変わらないのに、外登持ち歩かなければ、罰金、10万円とか、なんか、あやしい外人扱いなところ。

あとは、海外に行く時、いちいち、大使館に行って、ビザを発行してもらわなきゃならないこと。

税金は、払ってるのに、選挙権がないこと。

・・・結婚するまでは、そのくらいの不自由でした。

が、結婚となると、韓国大使館に行き、行ったこともない、自分の本籍地

(韓国〇〇〇道 ~郡~面)とか、書いてある、地名(父の韓国の故郷)

から、自分の戸籍だけ、家族同一になっている戸籍から、抜かれ

(抜かれても、自分的には何も変わっていない)、その作業をへて、

やっと、日本の区役所に、婚姻届を受理してもらえる。

この時点で、自分の戸籍は、行ったこともない、知らない土地に、

1人だけの単体の戸籍になるのです。

いくら、日本の旦那さんと結婚しても、日本の戸籍には、はいれない。

でも、産まれた子供は、旦那さんの戸籍になる。

なんか、さみしい&へん。

なんなんだろう??

って、だから、私は、帰化申請して、色んな、経歴を、申して、

日本という国に、受理されなければ、宙にういた、

わけのわからない存在なのです。

・・・・・でも、国籍。というのは、人間が決めたもので・・・

私の魂の故郷は、もっと、もっと、あたたかくて、

愛にあふれたところだと思います。

でも、この地上の人間界では、国籍とかの法則にのっとっていないと、わけがわからなくなるみたいです。

土に、線引きができないように、国籍なんて、本来は、あまり、

意味があるとは、言えない様な気がしますが、

行った事もない、見たこともない故郷といわれる、本籍地に

1人で、宙にういているのも、嫌だから、帰化しようかなとか、思ってます。

そして、行った事も、見たこともない、私の本籍地ですが、

ここには、父方のご先祖様と、縁があります。

だから、いつか、近いうちに、ここへ行ってみたいです。

できれば、お墓参りもしたい。

私のsoulの故郷は、もっと、みえない、あたたかいところに、

あっても、私のご先祖様達だって、そこから、来られ、

また、ご先祖様あって、そのご先祖様が、その土地に、

いらしたから、今、私が生きている。。。。。

感謝のものがたり。

なのです。

本籍地って、そういう意味なら、わかるけどw

・・・・・みなさんのsoulの故郷、わかりますか???

よく、生まれる前に、性別も、両親も、国籍も、境遇も、

すべて、自分でえらんで、魂の学びをしようとして、

この世に生まれてくるといいますが、自分が、なんで、

こんなに、めんどくさい性別や、両親や、国籍や、境遇を

えらんだのか、わかりません。

(両親に対しては、感謝してますが、色々ありますので)

・・・でも、わからないから、めんどくさいから、学びがあるみたいですね!

なんか。

がんばって、生きなくちゃ!!!ですp(^^)q

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